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元禄13年(1700)12月6日、水戸黄門で知られる第2代水戸藩主「徳川光圀(みつくに)」が、73歳で亡くなりました。光圀の父親は家康の末っ子十一男の「頼房(よりふさ)」で、水戸25万石を拝領し、初代水戸藩主となりました。この水戸藩だけは特別扱いで、諸藩が参勤交代を強いられる中、ただ一つ「定府(じょうふ)」、つまり藩主が常時江戸詰めの藩だったのです。これは、将軍のご意見番として、お呼びが掛かるとすぐに登城出来るようにするためです。この頼房、若い頃は相当な遊び人で正式な結婚をしなかったものの、奥女中に次々と手を掛け、結局男女26人もの子を作りました。しかし、結婚していないので全て側室の子です。当時の武家の法律「武家諸法度(ぶけしょはっと)」の決まりで、全員側室の子供の場合は、幕府が後継者を決めることになっていました。それで、15人の息子たちの中から後継者に選ばれたのが三男・光圀で、のちに第2代水戸藩主となるのです。ところが、この光圀も父親同様15歳頃から江戸の街中に出て、歌舞伎者や旗本の次男坊らとつき合い、自由奔放で無軌道な行動をとるようになりました。18歳の時、光圀が後継者となったため、尊敬する長男が他家へ養子に出されてしまいました。本家の家督を継げなかった兄の辛い立場を考え、日頃の自分の無自覚な行動を深く反省し、その生活ぶりを一変させて猛烈な勢いで読書学問に励みました。そして、日本の歴史書を編修しようと志を立て、30歳の時に「大日本史」の編纂を開始しました。これは、光圀亡き後も水戸藩の事業として受け継がれ、明治維新後は水戸徳川家が引き継ぎました。かくして、光圀が一念発起してから約250年後の明治39年、神武天皇から後小松天皇(南北朝合一時の天皇)に至る歴史書「大日本史」全402巻が完成し、その思いは成就しました。(2023.12/1)