2018.2/15更新
〒507-0801岐阜県多治見市東町1-9-27 (多治見市美濃焼ミュージアム内) Tel.0572-25-5551 日・月曜日定休  
 



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●ただいま「第23回美濃茶盌展」の公募を受付中です。
公募期間=平成30年2月9日(金) 〜 2月26日(月)
くわしくはこちら

9/27 ●平成30年5月に開催予定の「第23回美濃茶盌展」(旧庄六賞茶盌展)の開催&公募要項が決まりました。
くわしくは下記イベント情報、またはこちら
9/24 ●平成29年9月24日(日)に、「第7回美濃大茶会」を開催いたしました。多くのお客様にご参加頂きまして、誠にありがとうございました。くわしくはこちら
5/18 ●公益社団法人美濃陶芸協会は、「第3回美濃陶磁育成・智子賞」に、安藤 工氏(あんどうたくみ・多治見市)を選定いたしました。くわしくはこちら
5/6 「第43回美濃陶芸展」が盛況理に終了しました。
期間中、多くの方にご高覧頂きまして誠にありがとうございました。この記録は「美濃陶芸協会アーカイブ」に保存しました。くわしくはこちら
4/6 ●公益社団法人美濃陶芸協会は、「第35回卓男賞」に、陶芸家・和田和文氏(わだかずふみ・岐阜県土岐市)を選定いたしました。 くわしくはこちら
2013
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■「社団法人美濃陶芸協会」は公益社団法人化に伴い、「公益社団法人美濃陶芸協会」と名称を変更いたしました。省略形は「(公社)美濃陶芸協会」となります。今後ともよろしくお願い申し上げます。くわしくはこちら





上記画像は前回「第22回美濃茶盌展(2016)」
「庄六賞茶盌展」として長く親しまれた本展は、前回の第22回展より名称を「美濃茶盌展」とし、「美濃陶芸展」と交互の隔年開催と致しました。次回第23回美濃茶盌展をお楽しみに!
多治見展
(セラミックパークMINO)
平成30年(2018) 5月3日(木) 〜 5月6日(日)
10:00 〜 17:00 (最終日は16:00まで) ※初日のみ11:00から
名古屋展
(JR名古屋タカシマヤ)

平成30年(2018) 5月16日(水) 〜 5月22日(火)
10階 美術画廊

開催および公募要項 くわしくはこちら
公募要項PDF ダウンロードはこちら
公募期間 平成30年(2018) 2月9日(金) 〜 2月26日(月) 

・美濃茶盌大賞 (賞金50万円 1名)
 
(大賞作品は賞金をもって買取り、とうしん美濃陶芸美術館に収蔵)
・金 賞 (賞金10万円 1名)
・銀 賞 (賞金5万円 1名)
・銅 賞 (賞金1万円 2名)
・奨励賞 (若干名)

参考 前回「第22回美濃茶盌展(2016)」の記録はこちら




詳細がわかり次第リンクします 
 高田焼祭 平成30年4月初旬頃
 たじみ陶器まつり 平成30年4月中旬頃
 市之倉陶祖祭 平成30年4月中旬頃
 TOKI-陶器祭り 平成30年4月下旬頃 
 土岐美濃焼まつり 平成30年5月初旬頃
 春の美濃焼伝統工芸品まつり 平成30年5月初旬頃
 だち窯やまつり 平成30年5月初旬頃
 かさはら陶器まつり産業フェスタ 平成30年6月下旬頃 

公募展の仕組み変更
智子賞を新設

公益社団法人への移行
協会設立50周年にあたって

第7回美濃大茶会
第43回美濃陶芸展
平成29年度卓男賞、智子賞

第6回美濃大茶会

第22回美濃茶盌展
平成28年卓男賞、智子賞

第5回美濃大茶会
第42回美濃陶芸展

平成27年卓男賞、智子賞
第21回庄六賞茶盌展
第4回美濃大茶会
第41回美濃陶芸展

平成26年卓男賞・桔梗賞

第20回庄六賞茶盌展
第3回美濃大茶会
第40回美濃陶芸展
平成25年卓男賞・桔梗賞
美濃陶芸のプロローグ
パネルディス…「文化の伝承」

協会設立50周年記念式典
第19回庄六賞茶盌展
第2回美濃大茶会

第39回美濃陶芸展
第18回庄六賞茶陶展

林 恭助会長就任あいさつ
東日本大震災チャリティ陶芸展
加藤孝造名誉顧問、人間国宝に
JR多治見駅陶壁完成

幕末の万延元年(1860)2月26日、江戸幕府がオランダに作らせた日本初の本格的な洋式軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」が、日米修好通商条約交渉の遣米使節団一行を乗せ、太平洋を横断してサンフランシスコに到着しました。1月19日に浦賀を出港して、40日間弱の航海でした。艦長は勝海舟(当時・軍艦操練所教授方頭取)、通訳に中浜万次郎(ジョン万次郎)、若き日の福澤諭吉も乗船していました。漁師だったジョン万次郎以外の船員は船酔いで役に立たず、技術アドバイザーとして乗船していた米海軍乗員の助けを借りなければ乗り切れなかったそうです。咸臨丸は帰国後、小笠原諸島の探検などで活躍後、蒸気機関が壊れ、帆船として再出発することになります。慶応3年大政奉還、翌、慶応4年戊辰戦争が勃発。幕府海軍副総裁・榎本武揚(えのもとたけあき)が旧幕府軍を率いて咸臨丸など数隻の軍艦を奪い、東北方面へ逃げようとします。ところが、銚子沖で暴風雨に遭い、咸臨丸は榎本艦隊とはぐれ、西へ流されて遠州・清水港へ緊急入港となりました。しかし、追ってきた官軍によって乗組員はほぼ全員殺害されてしまいました。乗組員の遺体は逆賊として放置されたままでしたが、清水港を仕切る侠客・山本長五郎(清水の次郎長・文政3年~明治26年)がこれを哀れみ、「死者に官軍も賊軍もない」と云って手厚く葬ったとされています。その後、咸臨丸は明治政府に接収され、北海道開拓使の輸送船として再々出発します。明治4年9月、人員輸送のため函館港から小樽港へ向かう航海途上、函館南西のサラキ岬沖で暴風雨のため破船しあえなく沈没。時代に翻弄された軍艦「咸臨丸」は、北の海でその寿命を終えました。昭和59年、サラキ岬沖の水深20mの海底で、朽ちた鉄製の錨(いかり)が漁網に掛かりました。そして、平成18年9月20日、この錨は「咸臨丸」のものと認定されました。(2/15)



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